たぶん、歩いていくしかない
葉っぱみたいだ。ひらひらと舞う葉っぱみたいだ。
これは最近の話だけれど、(今はドイツにいるのだけれど)
飛行機に乗っているとき、
地図も持たず、携帯も持たず、ただ知らない土地を歩き続けているとき、
目的地なんてなくて、どこにいるかなんてどうでもいいとき、
自分はただ風に揺られて、運ばれるところに運ばれていく葉っぱみたいだと思う。
水分が抜けて軽くなった、少し黄ばんだ葉っぱみたいだと思う。
ただ地面をからからと転がる枯葉みたいだと思う。
日々の忙しさとか、やらなきゃいけないこととか、あんなことやこんなことをやっているとどんどん時が過ぎてしまう気がする。早すぎる川の流れに放り込まれた葉っぱの船みたいに、もみくちゃにされて、辺りを見回すこともできず流れていってしまう。
街のあちこちでいろんな流れが流れてるみたいだ。みんなそれぞれいろんな流れに乗っているみたいだ。
静かな側流で、辺りをじっくり見渡してみるのが好きだ。静水にぽつんと浮かんでいるのも好きだ。自分と話したりする時間が好きだ。
でもたぶんそれはそうしないと自分の流れを保ってられないからなんだ。すぐ流されてしまう弱さでもあるんだ。
強い流れに押し流されないくらいに、流れの中を立っていられるくらいに
強くなりたい。
旅とは人に出会うことだと思う。
違う場所に行けば違う人がいて、いろんな人がいて、
でも実は身近な場所にもいろんな人がいて、
一人の中にもまだ見ていない部分があって、
自分の中にも見ていない部分があって、
だからきっと旅はどこでもできる。
一つの行為も旅になりうる。
日常を、旅にできる。
世界にはたくさんの人がいて、
これまでにも人はたくさんいて、
みんな物語を持っていて、
すごい人がたくさんいて、
そんなことできないって不安になったりして、
自分の弱さに、自分の小ささに直面してしまう。
全然だめだ、って呟いて倒れこみたくなる。
しかし朝起きるとひんやりとした空気が漂っていて、
日差しが草たちを照らしていて、
川に行けば水面に光が踊っていて、
綺麗で、
目が離せなくなって、
泣きそうになる。
頭上では、緑色の光と葉の揺れる音が流れている。
橋の鉄骨に寝っ転がって、空を見上げれば飛行機も鳥も同じ大きさで飛んでいく。
風が吹くと、目を閉じていても爪先まで感じられる。
胸が溢れそうになって、 すべて関係無くなって、その一瞬を生きられる。
小さいとか弱いとか、それはまぁそうなんだけど、
全部ひっくるめたまんまるとした自分で、ただしっかりと地面を踏んで一歩ずつ歩いていきたいって思える。