歩く

あるきながらうたおう

物語をつなぐ。

アウシュヴィッツ=ビルケナウに行った。

 

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たくさんの人々がここで死んだという話を聞かされる。服を脱がされて髪を剃られて身ぐるみをはがされたのだという話を聞かされる。人々の髪は生地を作るのに使われたのだという。人々の肌には番号が刺青されたのだという。

 

番号さえもつけられずそのままガス室で殺された者もあるという。ただまとめて殺すために、ある種の人々を殲滅するために、この場所に連れてきたのだという。

 

屍体を燃やした灰は近くの池に運ばれたという。

 

目の前にあるこの壁の前で数えきれない人々が銃死刑にされたという。今歩いているこの道を歩いて、人々はガス室へ向かったのだという。暴力と飢餓と懲罰がこの場所のそこらかしこにあったのだという。

 

 

 

想像なんてしきれないけど、ただ体が重くなる。建物を触るとなんだか腕がぴりぴりして、ただ体が重くなっていく。

 

 

 

写真を見ただけで、ざわざわとした気持ちがよみがえってくる。

 

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丸刈りになって同じ服を着て、似たような姿になった人々の個人写真。

 

一人ひとりの目が、燃えていた。

 

怒りでもかなしみでもなく、ただ光って、燃えていた。

 

 

 

 

このすべての人ひとりひとりが、

人種も国も関係なく、

一人の例外なくすべての人がそれぞれの物語をもっているという事実。

 

そして数100万人単位の人々の物語がここで終わったという事実。

 

数字にしてしまうと隠れてしまう、ひとりひとりが生きていたという事実。

 

 

 

それを、しっかりと見つめていたい。

 

 

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過去を知ると、自分が甘いのではないかと思う。

過去でなくたって今だって、自分が経験していないことを経験している人がいると思うと、自分の甘さと弱さを責めたくなる。

すぐに動き出すわけではない自分を責めたくなる。

強く生きている人を見て、自分は全然だめだと思う。

 

 

 

 

でも自分の物語はきっと自分だけのものじゃない。

 

これまで生きた人の物語はしっかり伝わっていて、

しっかりバトンは渡されていて、

自分の生きる世界がまさにそのバトンなのだと思う。

 

 

自分のなかに、たくさんの人が生きている気がする。

 

 

 

だから、渡されたものはしっかりと受け取っていきたい。

平和をつないでくれたのなら、それをしっかりと受け取っていきたい。

 

何よりも、つなげていきたい。

 

 

 

自分が世界にいる間に、何を紡いで、何を繋げていくかは、たぶん、自分次第だ。

 

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人を燃やした灰が積もるという池のほとりにはかえるがいて、水面は光っていて、地面はあったかくて、体育座りをした自分の上で木の葉たちがさらさらと揺れている。

何が起こったって時は経って、葉はまた茂る。

 

これまでに数えきれない命が生まれて死んで、自分の命だってちっぽけなもので、いつか土に帰って、墓には葉が茂って、覚えている人なんていなくなっていくのだろう。

 

それでも自分が生きて紡いだ物語は誰かにつながって、またその誰かが物語を紡いでつなげていくのだろう。

 

だからひとりひとりが、どこに住んでいようとなにをしていようとすべての人が、未来に責任があるのだと思う。未来を、創れるのだと思う。

 

どんな世界をつなげていくかは、選べるのだと思う。

 

 

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池のほとりに座っていたら、頭上を流れる木擦れと一緒に、重くなった体もなんだか洗われた気がした。なんだか嬉しかった。そこにいれることが嬉しかった。それを自然の中に見たみたいで、なんだか嬉しかった。流れていくもののなかに静かに立っているものを見たみたいで、なんだか嬉しかった。ただ、生きているのが嬉しかった。静かに、その喜びをうたっていきたいと思った。そよかぜが、きもちよかった。

 

 

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